2004年12月 アーカイブ

第3回スポーツ外傷講義:スポーツによる肩の障害

はじめに
 野球など肩よりも手を高く上げる動作が必要なスポーツでは、肩の痛みを出すことは珍しくありません。肩のスポーツ障害には様々なものがあり、とくに野球においては多種多様で、野球による肩の障害すべてを総称して野球肩と言ってしまうこともあります。しかし、もし病院・診療所に行かれて、医師からどこがどうなって痛みを出しているのかという説明が無く、総称である「野球肩です」と言われたとすれば、その医師は結局病態が分からなかったからそう言ってごまかしたと思って頂いて結構でしょう。同じようなことで、よく患者さんから「他院で成長痛って言われたのですが・・・」と聞きますが、実際医学用語としてそんな病名は無く、何の説明も無くそう言ったのであれば、その医師は結局診断できなったと判断されていいと思います。
 さて、野球による肩障害を一つ一つ説明申し上げていては、きりがありません。しかしながら、だいたいの野球肩はほぼ同じようなことが原因で障害をきたしていますので、今回はそれについてお話しいたします。

肩関節はもともと不安定
 関節を安定させる要因として、骨の構造がまず挙げられます。つまり、2つの骨の接地面が多いほど関節は安定します。(狭義の)肩関節は、上腕骨(腕の骨)と肩甲骨からなりますが、お互いの接地面は非常に少なくいろんな方向に動かすことが出来る変わった関節なのです。逆に言うと、あらゆる方向に動く分、他の関節と比較し不安定なのです。

腕を上げる動作でどこが動く?
 腕を上げる動作では、始めの20°は腕のみが動いていますが、それ以上の角度では腕は肩甲骨と共に2:1の割合で動いています。例えば120°腕を上げたら、60°肩甲骨も動いていると考えてください。肩を動かす動作は、腕の骨と肩甲骨の協同作業なのです。

投球動作に必要な身体を捻る動きはどこが回っている?
 多くの方は、腰が回っていると思われているでしょう。確かに腰が回っているのですが、実は腰椎自体は、解剖的に回転にほとんど貢献していません。脊椎は一つ一つの椎骨がかみ合わさってできており、その椎骨同士は曲げたり反らしたりする方向には大きく動くのですが、解剖的には回転方向に動く角度は1~2°だけなのです。これは一つ一つの椎間レベルでの話ですので、単純計算で例えば5つの椎骨の回転したとし角度を合計すると全体で5~10°は回転するのですが、所詮これだけです。では、投球動作であれだけ身体が回るのは何故かと言うと、①体幹回りの筋肉がストレッチされている②骨盤(股関節)が回っているからなのです。つまり、これらの柔軟性がないときれいな回転で投球できないということになります。

球のパワーの源は?
 実際野球をされる方はお分かりでしょう。どれだけ力がある人でも、腕だけを思いっきりぶん回したところで、プロ野球選手のような速い球を投げることは出来ないですよね。また、ゴルフをされる方もよくお分かりだと思います。力いっぱいクラブを振り回したところでプロのような飛距離は得られません。そうです、下半身がしっかりしていないとパワーはうまく手先まで伝わらないのです。プロ選手のおしりが大きいのは納得いくと思います。ムチ(鞭)を思い浮かべてください、手元がフラフラしていてはムチの先端にしっかりパワーが伝わりませんよね。投げたり打ったりする動作は、下半身がしっかりしているところに、きれいな回転が加わり、さらに肩甲骨と腕の協調運動があって始めて手へ最大のパワーが伝わっていくのです。

キーワード
 では、上記のことから投球動作のキーワードをおさらいします。
「下半身」「柔軟性」「回転」「股関節」「肩甲骨と腕の協調運動」

肩のスポーツ障害の発生機序
 肩関節の解剖をもう少し詳しく説明すると、肩関節は始めのほうで申し上げたように元来骨の解剖上不安定なため、それを安定させるためのサポート役がいくつか存在します。一つは、肩甲骨側に存在しているもので関節唇(かんせつしん)と呼ばれる軟骨様のものです。これは肩甲骨の腕の骨がはまっている部分の周囲を縁取りするように付いており、腕の骨との接地面積を少しでも多くし安定させようとする働きがあります。もう一つ重要なのは、腱板と呼ばれる筋肉群で、関節を前方から後方まで4種類の筋肉で関節を包むように存在し、関節を安定させています。野球界ではインナーマッスルと言われる方もいます。スポーツによる肩の障害は様々あるものの、大半は関節唇か腱板もしくは両方に傷が入って痛くなると考えていいと思います。
 関節唇や腱板に傷が入ったり炎症が起きたりするのは、動作時に腕の骨が本来あるべき肩甲骨の位置にから離れてしまうことによって、関節唇が剥がれてきたり、腱板の一部が他の部位に擦れてしまうからです。つまり、「肩甲骨と腕の骨の協調運動」が行われていないときです。なぜ肩の部分で協調運動が起きないかというと、パワーを伝える土台の「下半身」の力が不十分であったり、さらに下半身の「柔軟性」が欠けていると重心移動がうまくいかない、また「股関節」の「回転」も硬いとパワーをうまく手へ伝えきれずに腕だけが先行してしまう。などのことが重なり合っていることが原因であります。野球で肩を痛めているという患者さんを診ると大抵の方が、ふくらはぎ・太ももの裏が硬い!股関節が硬く回らない!という状態です。肩のスポーツ障害は、まずはパワーの源である下半身から見直していかなければならないことが多いのが事実であります。
 
おわりに
 肩のスポーツ障害は、複雑で文章では説明しきれないことが多くあります。今回は、障害予防のために、普段皆さんが気をつけてストレッチなどをきちんと行っていって下さればと思い、意外と下半身が重要なのですよというお話しをしました。明日からでもストレッチを頑張ってみて下さい。

混合診療

前回のコラムで予告したように、今回は混合診療についてです。つい先日15日に混合診療解禁に対しYES or NOのけりがついた。包括的解禁は見送り、例外的に併用を認める現行の特定療養費制度を再編・拡充することとなった。といっても医療関係者でも何のことかよく分からない人がいるのに、一般の方には理解不能に等しいだろう。ということで、まずは混合診療って何なのかを前回のコラムをもとに説明いたしましょう。
 
 混合診療とは保険診療と自由診療(厚生労働省が保険適応と認めていない美容目的などの治療で、病院・診療所が独自に診療費を決めることが出来る。)を混ぜ合わせた診療行為を言います。本来は一治療に対し、保険診療を行うのであれば自由診療は一切行ってはいけないとなっています。逆に、自由診療を行っている医療機関も一治療に対し保険診療を同時に行うことは一切出来ず、一回の治療に対するすべての診療行為が自費で無ければなりません。ただ、一部保険診療と自由診療の混在が認められているものがあって、予防接種や健康診断などがそれに当たります。また、高度先進医療や入院で特別病室を希望した際などのベッド代などは特定療養費として認められており、こちらも自費徴収が可能となっています。今回はこの特定療養費として許可される範囲を広くしていきましょうという結果に落ち着いたわけです。

では、なぜ政府は混合診療を認める方向に動いたのでしょうか。一つは、国が保険として面倒見切れない医療費分を民間の保険会社(日本生命や第一生命etc)で賄ってもらい、民間保険の市場を広げることによる経済の活性化。もう一つは、税金の無駄遣いがたたって苦しいお国の懐事情を緩和するために、国が面倒見る医療費を削減したかったということである。さらに政府は、保険がきく診療費の上限を疾患ごとに定めるというイギリスの国民医療方式(前回コラム参照)を導入して、さらにGDP(国内総生産)における医療費の割合を抑えようとしていたのである。つまり政府の狙いは、日本の医療制度は残しつつ、アメリカ方式とイギリス方式(前回コラム参照)を混ぜ合わせた方式を創ろうとしていたのだ。

これに対して、日本医師会などをはじめ医師会の息がかかっている議員たちも大反対というのが今回の騒動で、特定療養費を拡大するということでまとまった今回の結果は医師会の勝利といっていいだろう。医師会の政治に対する力も最近は衰えてきたもんだと思っていたが、何にも分かってないくせに一緒に反対するアホ議員を動かしてこの結果に持ち込んだとは大したもんだと思った。混合診療には良いところも悪いところもあり、また診療科によって見解は違ってくるところもあって、医師会は反対しようが陰で混合診療賛成の医師も居たはずである。では、なぜ医師会は反対していていたのだろう。

その前に、皆さんはきっと医師会って何?というのが先ではないでしょうか?あまり難しい話をしては皆さんに分かりやすくお伝えしているこのコラムの意味が無くなってしまうので、医師会を簡単に言ってしまえば開業医同士の団体ということになります。ですので、日本全国の医師全員が加入しなければならない会でもなく、勤務医などは医師会には入っていないどころか全く興味なしなのです。かといって、開業する医師が必ず入らなければならない会でもなく、日本特有のアイデンティティーのない皆が入っているから入っておかなければみたいなものなのである。医学部卒業したての研修医が、皆が医局に入るから入っておこうと同じである。しかしながら、医師会も意味の無い団体というわけではなく、各地域でそれぞれ皆さんの健康向上に努めており、学校健診や夜間診療などを当番で行っている真面目な団体であるとフォローしておきましょう。

さて、話を戻して何故医師会が混合診療反対であったのかですが、医師会が開業医の団体であるということがポイントです。つまり、医業は営利目的であってはならないと言いつつ、何とかして診療報酬をせしめようと常に考えているのが開業医であって(皆さんが思っているほど病院・診療所経営って楽ではないのです)、患者さんへの窓口請求額は全診療費の3割負担のため一見高額ではないが、支払基金へ請求する残り7割をいかに多く取るかを日々考えているのである。実は、開業医があの手この手を考えそれを行ってきたために、国はもうこれ以上GDPの医療費を上げれないという現状なのである。なので、国は医療費上限の決まったイギリスの医療方式も取り入れたいのだが、それでは金儲けの診療報酬請求が出来ないと反対するのが医師会なのである。GDPにおける医療費は先進国の中で現在日本は下から2番目、最悪の医療制度を創ってしまったと叫んでいる最下位イギリスがやばいと医療費を上げて頑張っているため、いずれ日本が最下位になると言われている。このことを指摘して、日本の医療費は他の先進国と比較して非常に少なく、今以上に減らしてはならないという人もいるが、実は医療教育にかける金額が日本は他の国と比べて格段に安いためにGDPにおける医療費が少なく見えるだけなのである。よって、実際は病院・診療所からお国へ診療報酬として請求される金額はおそらく他国とさほど変わらないはずなのだ。ここでいう教育というのは医学生だけでなく、研修医など一番教育を大事にしなければならない医師達への教育も含まれているが、研修医はおろか医師達へお金はかけられておらず、研修医などは安月給で馬車馬のようにこき使われるだけなのである。前回のコラムでアメリカには国が面倒見る医療制度はないといったが、なぜかGDPの医療費は第1位なのである。これは、実はアメリカには貧困層や高齢者に対しては国が面倒を見る医療制度があるのと、医学教育に国が莫大なお金をかけているからなのである。だからアメリカでは医師1年目から高額給料であり、さらに資格を得て上にいけばもっと給料が上がるといったような教育システムがきちんとしているうえ、医師のステータスも確保されているのである。日本の医師がアメリカと違い、勤務医として上になっても給料安くてやってらんない、さっさと開業してしまおうという感覚になるのがお分かりだろうか。

ここまでの話しだと、別に混合診療になっても保険診療の範囲は残されているので、診療報酬請求に困りはしないだろうと思うでしょうが、もし保険外の部分が認められると様々な医療の参入が予想され、医療サービスが問われ出すことになるのが医師会にとっては問題なのです。今まで近辺に同じ診療科同士を開業させないようにコントロールし競争を避け、病気になってもうちの診療所しか掛かるところはないでしょと悠然としていたところに、患者さんのニーズを真剣に考えなければならない状況ができてしまうと、サービスということを考えたことの無い世間知らずのお医者さんには大変で、反対したいのは当たり前なのです。新聞などに書かれていた表向きの反対理由の裏には、こういった理由もあるのです。でも、皆さんの医者に対する信頼をなくさないためにも、本当に医師会はきちんと国民全員の健康を考えており、表理由が8割、裏理由は2割ぐらいと言っておきましょう。そして、こういった営利目的でないちゃんとした開業医の見分け方を皆さんにお教えするとすれば、診療明細書を受診された際に請求されてみるのは一つの手段だと思います。ただ、コンピューターを入れていない診療所もあり、明細書を出さないところが一概に問題ありとは言えませんが、いつも診療所に行かれた際にレシートもなく何を行ってそういう金額になるのか分からないですよね。もしかすると、診療で行っていないことも請求されているかもしれませんよ。

最後に、私自身は混合診療に賛成であったか反対であったかと聞かれると、無責任な答えになりますが、別にどっちでも良かったというのが答えです。患者さんの立場で考えた場合、得をする人もあれば得をしない人もあり、正確な答えはないでしょう。開業医としての自分自身の立場から考えても、私自身は患者さんの求めることを行っているだけであり、医療制度がどうなろうと箕山クリニックが赤字になろうと職員には申し訳ないが関係ないのである。ただ、一生懸命診療を行って、不当な診療報酬請求をしているわけではないのに、診療報酬請求を削ることで精一杯な支払基金さんにはもっと現場の医療を勉強してもらいたいとは思いますが・・・。そんなことよりも、今回述べたような腐った日本の医療教育という根幹からたたき直したいと、出来もしないデカイことを思う今日この頃である。

プロとは

「今年の風邪は長引く」だとか「今年の花粉は例年に比べてひどい」とか毎年同じことを聞いているような気がする。同じように毎年「今年はいろいろなことがあった」と言うが、本当に今年は様々なことがあった。
日本だけでなく、つい先日もインド洋の大地震があったように地震や雨など天災の恐ろしさを思い知らされた。
社会においては、親が平気で自分の子供を殺したり、子供が親を殺害したりといった事件が多く、コミュニティの基本である家族という構造が崩壊し、国全体のコミュニティがおかしくなっていることをまざまざと見せつけられた。
経済では、戦後の高度成長で伸び続けた日本経済は物があふれ豊かになり、ちょっとやそっとでは消費は伸びず、まさに消費者のニーズにこたえられる物だけが求められている。土地という架空の価値に踊らされたバブルの崩壊から、いまだ立ち直れない見せかけ企業は、合併されたり潰れていくだけである。
政治では、何をもってして国益なのかきちんした説明もできないのに、「国益」という言葉のごまかしで憲法第9条が壊れ始めている(私個人的には、改正に賛成だが)。これは、政治家だけの問題でなく、こういった流行り言葉を作ってしまう幼稚なマスコミのせいでもある。
スポーツ界でも大きなことがあった。オリンピックではメダルラッシュ! こういうときにしか国民の愛国心が出ないのは残念だが(日教組の教育に問題ありと思う)、皆が日本のすごさを改めて知ったに違いない。しかしながら、今年のスポーツ界の目玉は何と言っても野球界の問題であったと思う。ここでやっと今回の見出し「プロ」という言葉を使用するのだが、日本プロ野球選手会会長である古田敦也選手は実にプロだと感じた。彼については、後ほど述べたい。

さて、私事に関しては、今年は開業元年で、9月開院に至るまでの1月からと、さらに9月開院後も実に奮闘した。開業にあたり私がこだわったのは、医師である私のみならず職員全員が「プロ」の集団であるということであった。それによって「本物」の医療を提供したかったのだが、PRにあたって「本物」という言葉を使用することを避けた。というのは、先ほど述べた「国益」のように何をもってして「本物」というのか、この言葉の定義が曖昧であり、簡単に使用してしまえば幼稚なマスコミと同じレベルになってしまうからである。「スリムドカン」でおなじみ「銀座まるかん」の創設者で2003年度納税額1位の斉藤一人氏の言葉に「『本物』の時代は終わった。これからは『本当』の時代だ。」というのがある。どういうことかというと、「本物」とは自称に過ぎず、他人が始めて「本当だ」と感じ、実力を認めてこそ本物なのであるということなのだ。この斉藤一人氏の言葉から、私は「プロ」ということにこだわることにした。つまり、本物の施設で本当のことを行うことができるプロが居てこそ、患者さんやジムの会員さんに本当だと思ってもらえるからだ。しかし、この「プロ」という言葉も定義がはっきりしない言葉ではないだろうか。
様々な人が様々なことをもって、「プロ」とは何かを語る。多くが、ある仕事でお金を貰っていれば、その仕事に対してその人はプロだという。それは全くの間違いである。その仕事に対してあることを達成するための戦略があり、そしてそのための戦術があり、責任をもって結果を出さなければ、その人はその仕事に対するプロとは言えないと私は考える。それが本物であり、周りが本当だと思うのではないだろうか。結果を出さずにお金だけ貰っているのは、単なる泥棒に過ぎない。戦術を持ってお金を盗むという結果を出してる泥棒のほうがよっぽどプロである。
プロといえば、どうしてもスポーツ選手や資格保持者だけという印象があるが、これも間違いである。何の資格もない事務員や秘書(資格をもった事務員や秘書もいるが)であっても、細かなところでプロであることができる。例えば、社長が秘書に「鉛筆を買って来い」と言ったとしよう。ここで、単に「はい」と鉛筆を1本のみ買って来て「どうぞ」と渡すのは、給料泥棒である。普段から社長に常に仕えている秘書は、社長がなぜ鉛筆を必要としているのかを聞くことなく、普段の仕事から自分で考え、それに必要と考えられる本数と念のための予備を用意し、きちんと社長が好むであろう尖り具合に削り、そして鉛筆を必要とするであろうデスクにおいて、「すべて準備しておきました」までがプロ秘書の仕事なのだ。まあ、今どき鉛筆を使用するような人はあまりいないと思うが(笑)、例えばである。

私が考えるプロとはこういうものであるが、古田敦也選手に話を戻そう。シーズンも終りに近づいていた頃とはいえ、まだ連日試合を行っていたにもかかわらず、2リーグ制を維持し新規球団の参入を許可するために、毎日のように会議、記者会見、テレビのスポーツニュースに出ていた。疲れきっているにもかかわらず、球場のファンには一切そんな素振りも見せずにプロとしてファンサービスも行っていた。「一選手が・・・」といったように兵隊程度にしか考えていないフロントと対等に話をするには、本業の練習でそれどころでないであろうに労働法についてかなり勉強していたはずである。結果、皆さんご存知のように来シーズンも2リーグ制、新規参入チームが誕生した。ストまで起こした選手会会長である彼は、どうすれば1リーグ制になるのを食いとめられるか戦略をもってそのための戦術のために時間を惜しんで必死で勉強し、会長という責任のもと結果を出したのである。

12月18日(土)の朝日新聞「フロントランナー」で彼の記事を読んで、彼が本当のプロであること改めて感じた。以下は、その記事からの引用である。
立命館大の4年生だった。87年11月18日。新人選択(ドラフト)会議が東京都内で開かれていた。大学の1室にテレビカメラが何台もセットされた。「古田選手、おめでとう」の垂れ幕が、指名と同時に窓辺から落とされる手はずだった。しかし、名前は一向に呼ばれない。一台、一台、テレビカメラは撤退。夕方、残った人数の新聞記者に残念会見を開いた。「おかんがかわいそうやった」
2位指名は確実、1位もあり得ると報じられていた。実際、パ・リーグのある球団の常務が実家に指名うぃ「確約」していた。指名漏れした晩、母は「プロは汚い」「約束したやん」と電話越しに泣いた。「絶対プロに入らな。入って、見返さなあかん」と思った。
「人って急にそんなに変わらんでしょ」。今の古田は言う。「でも、僕にとっては指名されなかったことは大きかった」
「負けたら何にもならん」の気持ちが強まった。結果を出すための情報を求め、視覚、聴覚を集中させた。トヨタ自動車に入社した88年、ソウル五輪があった。「絶対、代表に選ばれな」。一塁のカバーリングに熱心な捕手を好むコーチがいた。誰よりも遠くまでカバーへ走った。首脳陣の話に耳を澄ませ、右打ちを評価していれば、流し打った。代表として銀メダルを手にした。ヤクルトに指名を受けた89年は、就任が決まった野村克也監督(当時)の本を読みつくした。「考え方知って使ってもらう。出場しなきゃ意味ない」。1年目で106試合に出た。
ベンチでは「ID(データ重視)野球」の生みの親と言われる監督のすぐ前に座った。いつもリードを注意されたが、反抗せず、意見も言わなかった。3年目、一方的だった会話が「どうだ?」と監督から聞いてくるようになった。
野村監督の教えで心に残るのが「準備が一番大切」という言葉だ。
「結局、プロに入るためにやったのが、準備であり情報収集」。野村監督の言葉に通じるものだった。

箕山クリニックのスタッフは、私院長を始めとして患者さんやジムの会員さんに結果が出るようにプロの仕事をしている。しかしながら、箕山クリニック自身の目標はここでは明かさないが、当然ながら開業したてでその目標の結果をまだ出せていない。スタッフ個々だけでなく、箕山クリニックという組織自体が本当のプロになるために、今年はまだ準備期間であり、来年も準備をし続けるであろう。個々がプロ意識を持ち続け、いずれ組織としての結果を出すために頑張り続ける次第である。アテネ五輪で、最終的に繰上げで金メダルにになったが、銀メダルの時点での室伏広治選手が「結果だけでなく、それまでの過程が大事である」と言ったのが、印象的であった。